藤波辰巳 "マッチョ・ドラゴン"

頑張る人が好きである。

勉強でもスポーツでも仕事でも頑張れば必ず何らかの成果が得られるし、それに打ち込む姿は大変素晴らしい。


僕はそんな気持ちになるレコードを1枚持っている。


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プロレス界でドラゴンといえばこの人

藤波辰巳が85年に出した"マッチョ・ドラゴン"

藤波さん本人が歌っているのだが、その歌唱力たるや町内のカラオケ大会で童謡を一生懸命に歌う小学生を彷彿とさせる様な代物。

僕も初めて聴いた時は思わず吹き出してしまった。


しかしこのレコードは知る人ぞ知る名盤で

プロレスファンだけでなくレコードコレクターの間でもレア盤として人気を博し、高値で取り引きされているうえ入手も困難である。

なので僕はこれを下北沢のディスクユニオンで発見した時は静かに"ウォッ‼︎"っと声を上げ、値段も見ずに手に取り即購入した。


芸能界でもこの曲を好きな人は多く、度々テレビ番組などでも紹介されたりしていた。


音楽的にもこの曲を一時期入場曲として使っていた新日本プロレスケンドー・カシンから

「世界中どこで流しても客が笑う不思議な曲」と謎の評価をもらっているほか

なんとあの東京FMの今や老舗番組、山下達郎の"サンデーソングブック"でも取り上げられるほどの話題性を持っている。


この状況は狙って作れるものではない。


後に藤波さんは


「決してうまいとは思っていない」「お客さんに対してのサービスって言うのかな。気持ちでね、聞いてもらおうという感じでね、精魂込めて歌いました」


とプロレスラーの鏡のようなコメントを述べている。

本業ではない歌の仕事にも決して手を抜かず一生懸命取り組んだ結果が思いがけず人々の心を掴むいわゆる名曲ならぬ"迷曲"を生み出したのだった。


このレコードのリリースから3年後の1988年

藤波さんは試合後の控え室で自らの主張を押し通そうとアントニオ猪木と抗論となり

その際、誠意を見せようとなぜかその場にあった救護セットに入っていたハサミで突然自分の前髪を切り始めるという暴挙に出た。


これも藤波さんの一生懸命な気持ちが日本プロレス史における伝説的事件"飛龍革命"を起こしたのだ。


藤波さんの物事に対して一生懸命頑張る姿勢を見ていると成果とは成るものではなく付いてくるモノだということをつくづく痛感させられる。


2020年現在、藤波辰巳はまだ引退はしていない。

これからも伝説を作ってくれる事を期待している。